母の似顔絵
身内の話になりますが、うちの母親は私が生まれる一年前に今の美容室を開業しました。今年で27年になります。
小さな田舎町にある、自宅を兼ねた美容室で、来店されるお客様は40代以降の方がほとんどです。
母は私たち三人兄弟の子育てをしながら、この美容室を作り上げてきました。
そして,美容室を開業して26年目の春。
母は美容師にとって致命的な病気ともいえる掌蹠膿胞症になりました。これは手、足、にほぼ左右
対称に黄色い膿をもった小さなブツブツが多発病気です。
原因として、金属や細菌に対するアレルギーが証明されることがありますが、ほとんどの場合、確実
に解明することは困難な病気です。
そのために、病気が完治するまで長い期間を要します。
手足の皮膚が固くなり、剥がれ落ちそうになります。そのかたい皮が肉にささり、歩くたびに激痛が
走ります。
手足の爪が腐って剥がれ落ちる・・・。そんな恐ろしい病気に、母はなってしまいました。
すぐに完治できる治療法がなく、原因もはっきりしない。いつ治るのかも分からないもうこのまま治
らないのではないか。母はそんな不安にかられていたと思います。
普通なら美容師という仕事を辞めることを考えると思います。私ももちろん母はそうすると思ってい
ました。
でも、ある日の電話で母は必死に涙をこらえて、震える声を隠そうとしながら笑っていました。
大丈夫。まだまだ辞めるわけにはいかないし、何とかなるわよ。
私は電話を切った後、涙が止まりませんでした。
どうして母はそうまでして美容師という仕事を続かようとするのか。
指に力が入らなければシャンプーもできない。ハサミだってろくに持てる状態じゃない。立って仕事
をすることだって激痛との闘い。
それでも、母はハサミを置きませんでした。
指にゴム手袋を二重にして痛みをこらえて、晴れ上がってパンパンになった足には厚めの靴下をはきな
がらの作業。
そんな状態での作業なので、お客様を満足させることもできず、この美容院から離れていくのではない
かと、私は心配していました。
しかし、ある日私が実家に帰った時のこと。
お店には小さな子が書いた母の絵が飾ってありました。
母の似顔絵の上には いつもありがとう と、一言書いてありました。
それを見ていた私に、母はとてもうれしそうに言いました。
それね、いつもお店に来るお客さんのお孫さんがかいたんだよ。
私には、母にはっきり聞きました。
そんな状態になってから、お客さん減っていない?
迷惑そうに、でもうれしそうに、母は言いました。
それがそんなことなくってさ、もう、手足痛くて大変なのに、やってくれやってくれてお客さんが多く
て大変よ~。
うちの美容室に通ってくるお客様にとって、母はなきてはならない存在」なんだと、初めてその時私は
気が付きました。
お客様の中には遠くから何時間もかけて来てくださるお客様もいます。
この場所がいいといってきてくれるお客様がいる限り、仕事は続けるわよ。
母はそういって今も美容師という仕事を続けています。
自分を必要としてくれるお客様がいたからこそ、母はこうやって病気と闘いながらもくじけず、美容師
という仕事を続けることができたのだと思います。
この時初めて、長年積み上げてきた母との深い絆が見えたように思います。
そして、美容師という存在は人にとって、なくてはならない存在なんだと思いました。
私は、30歳で美容学校に飛び込んだ。1年間のインターンを終え、国家試験に合格し、仕事にもなれ
た頃、先生に言われました。お前をどう扱っていいんだろう。俺と同い年だし、どう育てていいのか
わからん。教えることがないんだ。ないのは技術だ。
技術は練習すればどんどん上手くなる。ほかに行くのも歳だし、自分の店を出せ。
お金もない、技術もない・・・。不安だらけの中、友人の手を借りながら1985年7月29日、自
分のサロン 夢追い人 をオープンすることになってしまいました。
当然、うまくいかないこともたくさんありました。
スタッフが、お客様から頂いたチップを自分のものにしてしまっていたことも・・・。
それでも、オープンい1周年が近ずき、スタッフも少しずつ成長し、忙しい毎日を過ごしていました
その日は雨で、店もすいていて、ゆっくりしていました。
森田君は北九州高専の四年生、いつもカットに来るお客様の一人です。カットの最中、いきなり、彼
が、暗い顔をしてポツリと呟きました。
俺、学校辞めるんだ。突然の言葉に返事ができず、びっくりした私に、学費払えなくて退学になるん
だ。え、なんで?
お父さんは何ていっているの?と、つい、きつい声で尋ねました。親父はいないんだ。
親が離婚して、母ちゃん、末期がん・・・。俺のアルバイトだけじゃ・・・。
弟も高校が決まったから、働く。
そういうと、森田君はこらえきれずに泣き崩れました。お父さんに会って、今の状態をはなしたら、
と、彼の目を見ながら問いただすように尋ねると、
母ちゃんが嫌がっているから。
俺、絶対合わない。あんな親父に、絶対。、絶対頭なんか下げるもんか・・・。
彼の悔しさが重さが伝わってきます。思わず言ってしまいました。
私がそのお金、立て替えてあげる。あと一年で卒業でしょう。高専を出るといいところに就職ができ
るのよ。だから学校に行きなさい。ね!
何とかしてあげたくて出た言葉です。
学校にいっていたら生活ができないんだよ。母ちゃん、末期がんで働けないんだよ。
弟の授業料だっているし・・・。
俺が働かないと、俺しか、俺しかいないんだ。
あまりにもつらい返事に返す言葉もなき声が詰まり、ボロボロ涙が流れてきました。
しばらく沈黙のあと、彼は、オレ、ここにカットに来ているだけの客だよ。たから、