心のビタミン
美容師になって早10年、いつの間にか店長になっていた。
仕事は好きだ。やりがいもある。でも何かが足りない。何かが・・・
ある日、1本の電話が鳴った、高校時代の部活の先輩だった。
部活はバスケ部。背の小さい自分にとっては、背も高くバスケもうまい憧れの先輩だった。1学年上とは言え
男女ともに人気のあった先輩と一般人の自分では接点はほとんどなかった。
思えばまだ、自分が美容師としては駆け出しの頃、何回かカットモデドを頼んだ時に少し話した位だ。
そんな先輩のからの電話。
どこで自分の番号を聞いたのか、憧れの先輩から電話がかかってきただけでもびっくりだ。
聞けば知り合いガンになってしまい、透析治療に使った抗がん剤の副作用で脱毛が激しいらしくかつらも買
ったが、既製品のために似合わないので困っているという。
美容院に持ち込んだものの、本人にかぶせた状態でカットしなければ意味がないので、本人を連れてきて欲
しいと言われたらしい。
もちろん美容院に行けばたくさんの人のいて人目が気になる。サロンに行く勇気も出なかったらしい。
そこで自宅に出張してカットしてくれる美容師さんと言うことで自分の名前が上がったのだ。
そこでよくよく話を聞いてみると、先輩の知り合いとは、なんと、半年前に結婚したばかりの奥さんだった。
いいにくそうに声を震わせながら告白した先輩の声が今でも忘れられない。
昔はよく自宅訪問で友人のカットの練習をさせてもらったのだがスタイリストになってからと言うものの、久
しく出張していない。
仕事は忙しかったのだが憧れの先輩の頼みだ、ことあるわけにもいくまいいやこの話を断ったら男じゃない。
それに奥さんはどうなんだ?即決した。いつ伺えばよろしいですか。
そして数日後美容室の店長職の仕事は甘くない。がんばって仕事を早く終われたつもりだが、先輩の家に着い
た頃、時計の針は夜中の12時に近づいていた。僕は玄関のチャイムを押した。
ピンポーン奥さんと会うのは結婚式以来2度目だ。気さくな先輩はあまり接点のなかった自分やマネージャーも
含めて1学年下の後輩全員を結婚式に招待してくれた。
参列できないものもいたが、おしゃれでもあった先輩が選んだ会場はたくさんの出席者で埋め尽くされ、雰囲気
も最高だった美男美女のカップルで存在するもんなのだね。と会場にいた人たちも、羨む位だったそんな人気
者の先輩と言葉を交わすのは好、式の最後に一言だけや。
遠いところよく来てくれたね、今日はありがとうまた。
先輩たちの幸せいっぱいになるはずだった新居の扉が開いた。遠いところよく来てくれたね、
今日はありがとう。
先輩の顔はやつれだいぶ疲れ人が溜まっているようだった半年前の結婚式とは全然違う。
ガンになった人と、その人を支える周りの人たちの壮絶な闘病生活の苦労苦労がまじまじと伝わってきた。
部屋に上がったものの、奥さんはなかなか自分の部屋から出てこようとはしない。
それはそうだろう。いくら旦那さんの後輩とは言え見ず知らずの男の美容師に自分の哀れもない頭髪を見せる
のだ。恥ずかしいに決まっている。
進展しない状態に、優しかった先輩の口調も次第に険しくなる。
せっかく来てもらったんだから、いい加減に出てこいよ。自分も先輩に合わせる。
奥様、自分は何千人の女性の頭を見てきているので、安心してください。仕方なく先輩が泣きじゃくっている
奥様を、無理やり引きずりだした・・・。
唖然とした。
言葉が出ない何か胸が締め付けられる。
原爆でも近くに落ちたのか?
生で見たその頭の光景はテレビなどを見る被爆者のそれと何ら変わりはなかった正直直視できない。
中途半端に残っている毛髪がリアルだ。
顔がむくんで結婚式のときのあの美しかった花嫁のイメージは無い。
髪だけではなくまゆすら生ていない。体中の毛と言う毛が生えていない。
改めて抗がん剤の怖さを知った。
すぐさまカツラをかぶるが確かに違和感は大きい大正時代の生き残りかとさえ見えてくる。
確かにこのままでは。
よしやっと自分の出番だ。
勇気を出して声をかけた。早速切り始めましょう。
旦那さんが肩をかしながらダイニングの椅子にゆっくり奥様を座らせる。
痛い。ちょっともっと優しく動かしたてよ。
やってるじゃん。また先輩との口喧嘩が始まった。あまりよろしくない雰囲気だ。
いつものように切り始める。顔の輪郭、首の長さや太さ、前髪のバランス、全体のバランス。
全てを考えてその人に1番似合うように。
手を動かしながらどうしても先輩の先輩に聞き出せなかった事が頭をよぎるよぎる。
手術は、成功したようだが。奥さんの命はあとどのくらいあるのだろうか?。だめだ。ダメだ。考えてもキリ
がない。どちらにせよ、今自分にできる事はただ1つ。目の前にいるいる奥様の最高のスタイルを提供するこ
とだすることのみだ。