その時私にできたこと
私は、高校を卒業後すぐ上京すると、美容室に勤めながら美容学校に通い
はじめました。
当時、勤めた美容室は4.5店舗を持つチェーン店。わたしの勤めるお店は、その
中でも一番下町にありました。スタッフも6人ほどで、こじんまりとしたアッ
トホームという言葉がぴったりの、いわゆる下町のおばあちゃんが買い物帰りに
よるような店でした。
東京の人は冷たいとか、人がいっぱいいるとか、犯罪が多いとか、そんな都
会のイメージなんてまるで感じなかったので、田舎からたった一人出てきた私
には、とても良い環境でした。
下町の路地で猫がニャーと鳴いていることがあったり、心和む町で、気がつ
くと、あっという間に東京という土地にもなじむことができていました。
そんなお店で、あいさつや接客の仕方、シャンプーから見習い生活がはじま
りました。
私がすぐに東京での暮らしになじめたのは、そこが下町だったからだけでは
なく、サロンに通うお客様も、本当に暖かい人ばかりだからだと思います。
シャンプーができるようになって、お客様とお話しする機会が増えました。
今、何のトレーニングしているの?
今、ワインディングの練習をしているんです。なかなかきれいにロッドを巻
くことができなくて・・・。
そうなの。じゃ、私が練習台になってあげようか?ちょつとくらい失敗し
てもいいから、やってみれは?
ありがとうございます。でも、ワインディングの試験に合格したら、絶対〇
〇さんの頭やらせてくださいね。
そんな、お母さんみたいに私の成長を応援してくれるお客様がたくさんいま
した。
私が、一人暮らしで栄養がきちんととれているかも心配してくれて、毎回来る
たびに、おかずをタッパにたくさん詰めて、一人用の晩御飯セットを持ってきて
くれたお客様。
朝一番で」来店されたお客様に施術中、何気ない会話のなかで、朝突然トイレ
の電球が切れて困ったことを話すと、そのお客様が午後またわざわざきてく゜だ
さって、
此の電球一年ぐらい切れないし、電気代もやすくなるから使いなさい。
と、持ってきてくれたお客様。休みの日におうちに呼んでいただき、ご飯
をご馳走してくださったお客様・・・。
そんな本当に暖かいお客様に支えられて、早くそんなお客様たちをはじめから
最後まで、全部ひとりで施術してあげたい、と思いながらトレーニングを
地道に続けていました。
そんなお客様の中でも、特に新人の時からずっと応援してくださった、
Aさんという人がいました。
いつも元気いっぱい。私によくしてくれるお客様のなかでも、特にエネルギー
にあふれるような人です。
週2,3回は必ずシャンプー・ブローに来てくださいました。そして、帰ると
きに必ず次の予約をしてくださっていました。
髪が柔らくて細くて、少しクセのある髪質のAさんは、ブローでツヤを出す
のも、まっすぐ伸ばすのもむずかしく、ずいぶん勉強させていただきました。
そんなAさんが、ある時突然、予約もなく来店されました。
いらっしやいませ。あれ?Aさん、今日は予約いただいてないですよね?
急にお出かけですか?
・・・あれ? おかしい。いつもと様子が違います。
なんだかボーっとした感じで、とても疲れているようでした。
いつもどうりシャンプーしていると、Aさんがうつむきながら、消え入るよ
うな涙声で、
実は今、病院の帰りで・・・。お父さんが死んじゃったの・・。今日の朝、
ずっと入院していた病院で・・。うぅううぅ・・・。
えっ!お父さんって、だんな様のことですよね?。
びっくりして思わず聞き返しました。
Aさんは涙声で何か答えてくれましたが、自分自身も気が動転してしまい、
なんと返事してくれたのかも聞こえませんでした。いつもの元気なAさんから
は想像もつかないような暗い表情・・。励ましたいけど、どんな言葉をかけた
らいいのか・・?
私は、Aさんに何ができるだろう。Aさんの深い悲しみを、私には察する
ことはできるけど、身近な人を失った悲しみはそんなに簡単に言葉には置きかえ
えられない。
今、私にできることは、精いっぱいきれいにブローして。少しでもスタイルが持
続するようにセットして差し上げることしかできない。
私は、黙々とドライャーとブラシに力を込めて、いつもよりしっかりテンション
をかけ、髪の毛一本一本しっかり熱を当ててまっすぐに伸ばしてやろう・・・。
そう思いながら、黙々とブローしました。
いつの間にか私の目から、涙がポロポロとこぼれていました。目の前が涙で
霞むなか、ふと鏡に映ったAさんを見ると、目があいました。
Aさんの目からもボロボロ涙がこぼれていました。
次の瞬間、二人は号泣していました。
ブローが仕上がっても、上手に励ます言葉一つ見つからず、Aさんは涙が止まら
ないまま、お帰りになりました。
それからしばらく、Aさんは来店されませんでした。私は、Aさんことがずっと
気になっていました。
一か月ほどたったころでしょうか。ある日突然、Aさんが来店されました。
私は、ブローしながら何気なく、
お久しぶりです。少しやせられましたね・・。もうおうちのほうは落ち着き
ましたか?。
と聞くと、Aさんは鏡越しに、
この前は本当にありがとう・・。あなたも困ったでしょうね。きっと、なん
て声をかけていいのかって思ったでしょう。でも、あの時あなたが、泣きながら
黙ってブローしてくれたこと、一緒に悲しい気持ちを共有してくれたこと、
本当にうれしかったわ。今はやっと少し元気になったから、あなたにどうして
もお礼が言いたくて来たの・・。本当にあの時はありがとう。
そういってくださいました。
私は、気のきいた励ましの言葉をかけられなかったことをずっと後悔してい
ました。Aさんの言葉を聞いて、なんともいえない気持ちになりました。
私たち、美容師という職業は、ただ髪の毛のお世話するだけが仕事ではない
んだなぁ、と。
私は、お客様に何ができるだろう。と、はじめて真剣に考えたあの日。お客
様のことを本気になって考えることの意味を教えてもらったような気がしました。
お客様が美容室に来店される理由は色々です。
美容室を出たあとに、楽しいことが待っている人も、そうでない人もいる。
気分を変えたいから来る人、髪が伸びたから来る人もいる。
私たちにとって一番重要なのは、美容室にいるときにきれいなスタイルを実
現することではない。美容室を一歩出たところからのお客様の姿うを想像して、
スタイルを提供しなければいけないと感じました。
Aさんがきずかせてくれたことは、それからずっと私の美容師としての信条
になりました。十年経った今でも、本当に感謝しています。
Aさん、あの時は本当にありがとうございました。