私の仕事は 幸のおつかい

私の仕事は 幸のおつかい

その人といると心が暖まった。芸術の話、建設の話、絵画の話、音楽の話、アートの話
いろんな話をしてくれた。私はその人と出会って毎日が楽しくなった。
ある日、その人が仕事中に倒れた。
末期がんだった。入院して二週間で死んでしまった。
ずっと夢みたいだった。
その人は幸せだった。大好きな美容の仕事を死ぬ二週間前までやっていた。
私はそれを見せつけられた。
一年が経ち、一周忌の法要が終わった帰り道。19歳の私に、当時アルバイトからその
まま勤めだした美容室のオーナーがいった。あなたはここにいる人じゃない。もうあな
たの好きにしなさい。あなたがアルバイトしていた時から積み立てていたの。
150万円あった。
そのお金で好きにしなさい。
一か月後わたしは、彼の愛したイギリスに行った。
カット技術、建設物、ミュージカル、毎日が刺激的だった。
さらにその一年後、20歳になった私は、両親に、東京に行くことを告げた。
父は口をきいてくれなかった。私を目の中に入れても痛くないほど過保護に愛した父は
態度で反対した。
東京に行く前の日、部屋に戻ると母から手紙と封筒が置いてあった。
お父さんは何も言わないけれど、あなたのことを一番心配しています。明日は挨拶して
出ていきなさい。そう書かれていた。
封筒にはお父さんからですと100万円が入っていた。
その晩、寝ないで両親へ手紙を書いた。
絶対にがんばるから・・・。
その日の朝、新聞を読む父に、お父さん、行ってきます。
父は下を向いたまま背中で うん といった。
新幹線のホームまで送ってくれた母に手紙を渡すと、泣きながら手を振っていた。
私は美容師として成功するまで家には帰らないと決めていた。
それから山口に帰るのは、その十年後のこと。
家の場所さえ忘れていたほどだった。
私は本当に親不孝だ。

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