クリーニング店の老夫婦
私の働くお店は、都心近くにありながら昭和の面影とたたずまいいを残してい
る、どこか懐かしいお年寄りの多い町だ。立ち上げから今日まで、店長として
関わってきたということもあり、とても強い思い入れのある町のひとつでもある。
そんな町で毎日、目にする風景の中にバス停でのひとコマがある。
店の前のバス停でバスを待っているのは、だいたいいつもお馴染みのおじい
ちゃん、おばあちゃんばかり。お年寄りにとって地下鉄は階段の上り織がき
ついため、足腰への負担が軽いバスを利用するお年寄りが多い。
仲良しさん同士、楽しそうにおしゃべりをしながら、本数の少ないバスの待
ち時間を持て余すことなく、いつもそこに座っている。とにかくこの町では、
心癒されるお年寄りとの出会いが、日常にあふれている。
そんな時間がゆっくり流れるこの店の隣には、古くから営まれているクリー
ニング屋さんがある。
そこに住む老夫婦との思いで」を書いてみようと思う。
店のオープンを控えて、開店の挨拶に足を運んだのが、その老夫婦との最初
の出会いだった。
出会った時の印象を思い出してみると、おじいちゃんは一見、頑固そう。少し、
いかりや長介に似た風貌で、貫禄のある亭主関白風。
おばあちゃんは優しい顔つきで、いかにも三歩下がって夫を立てるような良
妻賢母風の癒し系・と。はじめのうちはごくごく普通の老夫婦との、ごくご
く普通の出会いだった。
そんな二人の生活の一部となっていたのが月一回のカットと、週2,3回の
シャンプーだった。そろそろ・・・とだいたい決まった時間に店の外に視線
を向けると、仲むずましく来店する二人の姿が見えてくる。
毎回、お店に来るたびに、この地区の昔の話や戦争の話、近所の人の話など
に花を咲かせる。まるで自分の祖母とはなしているようなそんな錯覚を感じる
ほど、おばあちゃんと仲良くなった。
しかし、それから3年ほど過ぎたころからだ、少しずつおばあちゃんとの会
話に、今までの軽快さが感じられなくなった。同じことを何度も口にする
ようになり、口調もおぼつかなくなり、こちらの投げかけに対しても反応が鈍
くなった。
それから少しずつ身体的のも弱っていき、てをとらないと歩けない状態にな
り、目もうつろになり、とうとう話しかけてもほとんど反応がなくなってしまっ
たのだ。
それでもおばあちゃんのシャンプーの習慣は続いた。ただ、もう二人が仲むずま
しく来店する姿を見ることはなくなった。
それにかわって、私たちが家まで迎えに行き、おんぶで」シャンプー台まで運
れていくようになった。そして普段はしない爪切りや耳掃除、洗顔のお手伝いと、
介護のような奉仕が続いた。
いまも変わらず、隣のクリーニング屋にはおじいちゃんが一人で住んでいる。
そして、おばあちゃんのかわりにシャンプーやカットのために定期的に来店さ
れる。
おばあちゃんがやっていたことと同じことをやってもらって、おばあちゃん
を思い出しているそうだ。
この体験を含めて、今日まで仕事をしてきて強く感じているのは、美容師と
いう仕事は、これほど深く人の人生に関わっている、ということもあり、それ
は単にやり甲斐ということにとどまらず、同時に大きな責任も伴うというこ
とだ。
日ごろの何気ない言葉や行動が、もしかしたら誰かの生きる喜びや支えになっ
ているかもしれない。逆に期待や思いに応えられず、がっかりさせたり、気分
を下げる原因になっているかもしれない。
少し大袈裟かもしれないが、私はこの位の気持ちを持って、日々仕事に励んで
いる。